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松尾芭蕉の正体は忍者...!?【都市伝説】

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どうも、うえたくです。

今回は、松尾芭蕉の都市伝説について書いて行きたいと思います。数々の噂がある俳諧師松尾芭蕉。その中に、松尾芭蕉は忍者の服部半蔵であるという都市伝説があります。
今回は、松尾芭蕉服部半蔵である3つの理由を紹介していきたいと思います。

それでは、どうぞ!




[松尾芭蕉服部半蔵である理由①]

松尾芭蕉とは、江戸時代前期に活躍した俳諧師です。世に数々の俳句を残し、"俳聖"とも言われ、現代でも残されている俳句は多いようです。

46歳の時に全国行脚に出かけ、様々な風景を見て俳句を詠みました。奥の細道で有名ですね。

松尾芭蕉服部半蔵ではないかという理由の1つ目が異常なまでの体力と脚力です。

しかし、その旅の道のりの距離を計算すると1日約50㎞近くを歩いた事になるのです。

現代の交通機関は車や電車、飛行機などがありますが、当然の如く江戸時代の日本にはそういった物はありません。なので移動は徒歩になります。

さらに、芭蕉は旅を始めた時点で46歳。
この時代の日本人の平均寿命は50歳とされていた中での1日約50㎞。年齢と合わせてみると、並みの体力ではまず不可能な距離です。

この事から芭蕉は異常な脚力を持ち合わせ、特殊な訓練を受けていた可能性があります。

そうした可能性から、「実は忍者だったのではないか」「この時代の忍者といえば服部半蔵ではないか」と結びつけられたわけなのです。



[松尾芭蕉服部半蔵である理由②]

松尾芭蕉服部半蔵である理由の2つ目は、江戸時代に存在した時代背景です。

松尾芭蕉が生きた時代は日本の歴史の中で最も交通規制が厳しかった時代です。

全国各地には関所と呼ばれる、幕府が徴税や検問の為に設置した施設があり関所を通るには、たとえ奉公所や城に奉公している人物であっても通行手形や公式文書が必要とされ、無ければ通る事が出来ませんでした。

しかし、松尾芭蕉はそんな関所を難なく通ったとされています。

関所は明確な理由が無ければ通る事が出来ない筈ですが、ただの「俳句を詠み歩く旅」という幕府に何の利益もない理由で関所を通過できるという事は不可解です。

そういった厳重な関所をフリーパスの様な状態で通る事が出来たという事は、芭蕉の職業が俳諧師だという事も疑わしくなります。


こういった事から、今では松尾芭蕉は忍者なのではないかと言われているのです。


最後までご閲覧いただきありがとうございます!
それでは、うえたくでした!